時代遅れの日本語教育?

 

 

「正しい日本語を限られた何人かに教える」 と 「より多くの人に日本語を知ってもらう」 どちらがいいのでしょうか?

 

コミュニケーションとしての言葉の重要性を考える自分は,後者の方が今の日本語教育に必要なことだと思います。

 

毎年日本語を学ぼうとしている人は増えています。 日本語を学ぶ人は,いまや20、30年前のように限られた日本研究をする人たちだけではありません。今までは,日本に興味を持たなかったような人たちも気軽な気持ちで習おうとしています。

 

かつて日本語は,日本語文学者や日本研究者など,限られた人々が学ぶ非常にマイナーな言葉でした。

 

しかし,最近は日本語を気軽に学ぶ学生も多く,日本語を学ぶ学生の目的も態度も変わってきています。

 

そんな,日本語を習う側の人たちが変わると共に,日本語を教える側の哲学も変わらなければいけません。

 

日本語を今までに興味を持ちそうにも無かった学生が興味を持ち学ぼうとしているのです。 そんな,学生の変化に対して,教える側はどう変わってきたのでしょうか。

 

日本語を教える側は実は何も変わって,無いのではないのでしょうか。

 

いまだに,日本語を気軽に学ぼうとしている人のことを考えた教え方になってはいないのが実情です。

 

いくつか具体的な例を挙げてみたいと思います。

 

日本語の動詞の導入は「です」,「ます」などのいわいる丁寧な表現からはじめる教科書があります。 しかし,この方法はは学ぶ側にとって難しいことが分かっています。(森山) ではなぜ,そんな方法を取る教科書が多くあるのでしょうか?

 

その多くの答えとして「最初にしっかり教えておかないと後になってもしっかり身につかない。 はじめから,難しい形で教えれば後で簡単に「ます」以外の表現を使うことができる。」 などがあります。 

 

しかし,この説明は時代遅れです。 なぜ,生徒は初めから難しい形で憶える必要があるのでしょう? 

 

それは,生徒がその先も日本語を学びつづけるという前提のもとではないでしょうか。 

 

元々日本語の研究をすると決めている人では無い限り,どのくらい日本語を学びつづける分からない学生に初めからわざわざ難しいものを教える必要があるのでしょうか?

 

難しい形は後になってから導入するべきです。 これは何も日本語に限った話ではありません。 身につくのが難しいからといって,誰が中学生に微分積分を教えるでしょうか? そんなことは,数学をもっと学んで見たい学生にだけに,教えることです。 初めは基本的なことだけでいいのです。 

 

そして教えていることが正確では無くても,あとで本当はこうなんだよと教えてあげればいいのです。

 

例えば,数学の,1+1=2 は 詳しく説明をすると,1+0i + 1+0i =2+0i と虚数の考えが省略されています。

しかし,そんな複雑なことは,初めから知らなくてもいいことです。 

そんなことは工学を学ぶ学生や理系の大学生が知ればいいのです。

 

同じように,「です,ます」を付けなくても通じるのにわざわざ付けないといけないのはおかしいことです。 少なくとも1学期しか取らないかもしれない学生には教えなくてもいいのではないでしょうか?

また,「です,ます」などコミュニケーションに重要ではない部分による学習の負担は生徒の挫折を促します。

 

確かに「です,ます」を付けないと日本語は失礼と取られるかも知れません。 でも、失礼,失礼じゃないより,日本語を話してくれるようになるのが先です。 

 

一人でも多くの人が日本語を学ぶよう,そしてもう少し学んでみようと思わせるように教える必要があるのではないでしょうか? 今後の日本語教育の課題として,『日本語をいかに気軽に学べるように教える』があるのではないでしょうか。

 

 

参考文献:森山新,「日本語動詞習得の中間言語研究」

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